2 特徴的な団地再生・居住地再生プロジェクト
2−1 ハックニーのリービュー・ハウス物語−コミュニティ・アーキテクチュアの誕生
 コミュニティ・アーキテクチュアは、今日、イギリスの団地再生とは切り離せない概念となっている。それは、居住者(コミュニティ)自らが主体としてコミュニティの開発や環境の改善に関与し、その計画・デザイン・事業をコントロールするしくみ、プロセスをいう。
 居住者の参加を伴った実験的プロジェクトは、1960年代の末からイギリスの各地で試みられていたが、コミュニティ・アーキテクチュアという名称が正式に用いられたのは、1976年に王立英国建築家協会(RIBA)の少数の建築家がコミュニティ・アーキテクチュア・グループという組織を結成したときが初めてである。ロッド・ハックニー(1986年、RIBAの会長に就任)をリーダーとするこのグループの運動は、その後、チャールズ皇太子の支援やサッチャー首相の支持を受け、1980年代には社会全体に広く受け入れられることとなった。環境省もまた、1981年から始めた優先団地事業における居住者参画、居住者管理の成功で、その重要性を強く認識するようになった。
 ハックニー区のリービュー・ハウスの団地再生(1982〜87)は、公営住宅の住民が自ら住宅の修復に取り組んだイギリスで最初の事業であり、コミュニティ・アーキテクチュアのめざましい成功例として注目を浴びた。
 それまでロンドンの公営住宅のストック改善事業では、入居者を他の団地に移転させて事業を行い、改良工事の後、新たな住民を入居させる方式がとられていた。地域に愛着を持っていた人々の居住継続を否定し、コミュニティをも崩壊させるものであった。団地の再生計画も既存の住民や将来の住民の意思と無関係に決定され、住民による管理への働きかけもないままにすすめられた。この結果、改善事業が行われた団地が、半年も経たないうちにもとのスラムに逆戻りするというような例が跡を絶たない状況であった。
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 リービュー・ハウスの居住者は、そうした団地の改善に反対し、自らがどのような改善にすべきかの決定に参加するためのキャンペーンを行った。結果的に彼らは居住者によるトラストを結成する。これは合法的な「近隣政府」であり、居住環境の改善に関する権限、個々の住民に代わって当局や請負業者と交渉する権限などが与えられる。ハックニー区によって建築事務所であるハント・トンプソン・アソシエイツが再生計画の担当者に指名され、彼らのコミュニティ・アーキテクトとしての活動が開始される。
 建築事務所は団地内の空家にスタッフ4人の現地事務所を開設する。それはすぐに団地内の交流拠点になり、居住者と建築家との創造的な対話が始まる。建築家は、そのことを通じて、社会的、空間的なコミュニティの喪失が、団地の空間構成と密接に関係していることを発見する。建築家ジョン・トンプソンは、次のように述べている。「居住者は身の回りの環境のあらゆる側面について、詳細できわめて批判的な知識や見解を持っている。この知識を利用し、彼らの問題の本質を理解できるなら、そのとき、建築家は設計者としての自分自身の技術を適用することができるのである」。
 建築家と居住者の協力から、団地の空間構成を基本的に再構築するデザイン上の解決が生まれた。できるだけ多くの共用空間が個々の居住者の責任となるように、共用空間と私的空間を設定し直すこと。共用空間と私的空間をはっきり示すことによって共有空間の管理を容易にすること。一階と二階の住戸を一体化して、それらに専用庭や通りに直接出られる新たな出入り口を設けること。様々な方法で個々の住戸や住戸群にアイデンティティを持たせることなどである。そうした団地空間の再生手法は、その後の団地再生にも広く用いられるようになった。

リービュー・ハウス:当初プラン(1939,LCC建設)と再生プラン
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 団地再生のプロセスは、人々が誇りを取り戻し、コミュニティを再生させる過程でもあった。それまでインナーシティのどこにでもみられる荒廃団地であったリービュー・ハウスでは、団地再生の後、犯罪や破壊行為は一掃され、共有空間は清潔に維持され、人々の肉体的、精神的健康状態も大きく改善された。そして、コミュニティ精神という新しい意識が生まれた。
 1970年代以降、イギリスでは都市計画への住民参加やコミュニティ・アーキテクチュアを専門的、技術的に支援する仕組みが段階的に整えられてきた。それらは今日では都市再生、団地再生にとって不可欠な存在となっている。
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